特に任務もなくぼんやりとベッドの上で宙を眺めていた午後、 ぴんぽんと部屋のベルが鳴り、刹那はああまた放送局の集金か、と居留守を決め込んだとき、その喧騒は一度だんまりと口を閉ざし、その後にあてつけのように ぴんぽんぴんぽんぴんぽんとくたかけのように騒ぎ立てる。 そんな子どものようなことをする人物は彼は一人しか知らなかったので、或る意味その行動は自分の存在を知らしめるのに有効な手なのだと彼に世の中の不思議 を囁いた。
「おーい、開けてくれー」
刹那が、何故年上にも拘らずこんな行動をするのかとか、そもそもどうしてこんなにかまってくるのかとか、を扉の外にいる男特有の性質について思考を重ねて いたところ、件の男、刹那と同じガンダムマイスターであるロックオン・ストラトスはその幼いながらの冷徹さに悲鳴を上げた。 どうやら切迫した様子に刹那はどうしたことかと首を傾げながら安売りしない腰を上げて覗き穴にそっと紅蓮を沿わせると、茶色の紙袋が視界いっぱいに広がっ て刹那はぎょっと双眸を見開く。
「…なに、」
「は、や、く!」
鍵に、それとプラスしてチェーンロックも掛けている刹那はぐいと迫ったエメラルドに身を引かせた。 しかしいつまでもガタガタ扉を鳴らせ続けるので刹那はようやく諦めてチェーンに手をかける。先日ロックオンに無理やり見せられた日本の映画にこんな場面が あったなと思い出しながら。 かけたはずのロックが開いているのには敢えて何も言わなかった。保護者を自称するくらいなのだから合鍵を持っていても不思議ではない。
「お前なー、チェーンかける奴がいるか?!昨日ちゃんと行くって言っただろうが!」
めいっぱいに抱え込んだ紙袋をテーブルに置き、格好だけは怒って見せたロックオンは袋の中身をぽいぽいと勝手知ったる顔で冷蔵庫の中に放り込む。中身がな いのでこうした作業も非常に楽であるが、同時にいらない楽をさせる刹那の日常生活に溜息を吐く。どうしてこうも無頓着なのか。
生活に無頓着なのは、生きる意志が足りないから。 その考えが時々彼をぞっとさせる。
食に興味がないのは今まで食べ物の種類を多くは知らなかったから。
部屋を片付けられないのは片付けるという環境にいなかったからだと彼は日常に投げやりな刹那を見るたびに言い聞かせていた。 だって、そんなの悲しすぎるじゃないか。十代の子どもが生きるのに興味がないなんて。
ロックオンに心配ばかりかける少年は「知らない」と呟いて床に散乱した衣服やファストフードの包装を避けてソファの上に腰掛ける。予想したとおりの部屋の 惨状にもう一度ロックオンは溜息を吐き、足元にあるゴミから拾い始める。ホットドック、おにぎり、フライドチキン、カツサンド。見事に栄養が偏っている。 こんなんだったら成長するもんもしないわな、と呆れるとぴくりと小さい肩が震える。 どうやら思ったことをそのまま口にしてしまっていたらしく、一瞬走った殺気に身を竦ませるが、特に間違った事は言っていないと自分を鼓舞させてロックオン はそのまま言葉を続けた。
「身体の資本は食いもんだぜ?それが乱れれば、成長も乱れるのも当たり前、だ」
「……」
「人間には発達段階ってもんがあるからなぁ。若いうちに栄養取っとかないと、俺の年ぐらいになったらもう縦には伸びないからな」
ま、横には増えるけど。つっても俺はどっちも全然心配ないんだけどーとロックオンはおどけてみせた、が存外と真剣な視線に立ち会ってはたとそのピエロの衣 装を脱ぎ捨てた。
「だから?」
「俺には関係ないかもしれないが、お前さんは自分の身体のことだろう。もう少し真剣に向き合ってもいいんじゃないか?食べるのも、立派なトレーニングだ ぜ」
「……余計なお世話だ」
「世話も焼きたくなるさ」
なるべく聞き入れてもらえそうな言葉を選んだつもりだったが、どうやら失敗してしまったらしい。 小さな身体は今はふいと横を向いて背中を丸めて寝転がる。全身で”視界に入れたくない”と表現され、静かに傷付くが元々勝手にやっている事なのでその責を 刹那に求めるなんてことはしない。
でもいつか、こういう気持ちをこの少年も知るときが来ればいいと思う。それも、できるだけ早く。
生きているって、そういうことを言うんじゃないのか。 ロックオンは手際よく床の散乱物を拾い上げ、分別していく。「あ、お前ゴミの分別って知ってるか?」と思い付きを訊ねれば「知ってる」と返される。知って いるがそれを実践に移す気はまだないようだ。
文句を言いながらも、こそばゆいような笑みが溢れてくる。 先週、散々言い聞かせたことが彼の中に小さな芽として根付いているのを感じた。
「何かリクエストあるか?」
「…肉」
「はいはい」
要求されるものは判っていたが、わざわざ冷凍庫に仕舞いこんだ鶏肉を取り出してキッチンのまな板の上に置く。それから野菜室をから長ネギ、にんじん、ピー マン、玉ねぎと次々取り出して鶏肉の横に乗せる。それから買ったままで出番のなかった赤唐辛子、先週から使った形跡のない醤油、今日買ってきたばかりの紹 興酒、そして片栗粉、コンソメ。 鼻歌まじりにレシピを思い出しながら腕捲りをして手を洗う。簡単で材料も少ないもので済んで、それでもある程度栄養バランスが良くて刹那くらいの子どもが 喜びそうなもの。
自分が食べる料理も、最近では刹那のために作る料理の試作会になってしまっている。おかげで濃い味付けにも慣れた。 さくさくと唐辛子を細かく切り落としているところ、いつの間にか近くに人の気配が近付いている事に気付く。この部屋に人間は二人しかいないのだから後ろを 確かめるまでもないことなのだが、予想外のことに吃驚を隠しつつ首だけで振り向いた。
「ん?どした?」
訊ねるが、その眸はまな板の上に固定されている。まるで視線を釘にして唐辛子の標本でも作りたいかのようにその目線は頑なだった。何か珍しいものがあるの だろうかと首を傾げるが、言われてみれば刹那にとってこのキッチンという場所は一番遠い場所だったのかもしれない。 ロックオンの眼には何の変哲もない赤を、それはなんだ?と眼が問うている。
「赤いのか?」
聞いてみるとようやく刹那の視線がまな板から外れてロックオンに移る。
「この赤いのは辛いやつ」
説明してやると刹那は辛い、という言葉に一瞬だけ眸を伏せる。出されたものは何でも黙って食べる彼なので嫌いなものは特にないと思っていたのだが、もしか したら味覚は普通の、そこらの16歳の少年と変わらないのかもしれない。 新しい発見にロックオンが笑みを浮かべていると、幼さを残す指がすっと無造作に置かれた醤油瓶を指差す。
「それも辛いやつじゃないのか?」
「これはしょっぱいやつ」
「これは?」
「これは…味はしないかな?」
刹那が指差したのは片栗粉だった。ロックオンが何となく言葉に詰まって濁らせると、刹那の瞳に一瞬不満の影が過ぎる。 歯切れの悪い説明に釈然としないのだろう。
「味がしないのに使うのか」
「味がしなくても、これを肉につけて揚げるとカリカリして美味しいんだ。水で溶くとぬるぬるになる」
言葉を覚えたての小さな子どもにするような説明だとロックオンは苦笑する。自分に子どもができたらこうしていちいちものを教えていくのだろうか。
刹那はその笑いに気付かなかったが、ぬるぬる、という言葉に僅かに眉を寄せる。
「…ぬるぬるしたのは嫌だ」
「?なんで、」
「腐ってる」
吐き捨てる言葉は真実彼の体験に基づいたものだった。少年の頭の中では『ぬるぬる=腐っている』という絶対の等号が成り立っていて、ロックオンはそれに慌 てて赤ペンの訂正を入れる。
「違う違う。腐らせるんじゃないぞ」
「腐ってる」
「腐ってないの。…今度食べさせてやるから、な?」
もういい加減にあっち行ってろ、と暗に料理の邪魔になることを告げるのだが刹那は動こうとしない。もしかして、肉を腐らせないように見張りでもしてる気な のか?とロックオンはその思いつきに噴出し、じっと疑わしく顰められる赤茶の眸にその思い付きが案外正しいという事を知る。今ではこの世間知らずが愛おし い。
「ずっとそこに立ってんなら手伝ってくれよ。ほれ」
まな板の上でバランス悪く揺れていた玉ねぎを刹那に放り投げる。それを両手で受け取り、次は先程の目線を手の中の野菜に向けた。
「皮剥いてくれ」
判るか?と首を傾げれて見やれば、一応こくりと首肯が返る。 小さなリスのようなその見た目にほのぼのと頬を緩ませたロックオンは、小さな手に乗る玉ねぎが五分後に辿る運命を知る由もなかった。













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