僕は人でなしなんだ。僕の本質はあまりに汚くてずっと人を殺 したがってぐずってるんだ、もっと殺したい、もっと血が見たいって。もっと、もっと!でもそんなのいけないことなんだ。だって同じ人間同士なのに、同じ種 類の生き物同士で殺しあうなんて、…(ここで彼は少し沈黙した)……いや、どんな生物だって一方的に命を奪い取る事なんて、ましてやそれをおもちゃにする なんて絶対にいけないことなんだ。だから僕は僕が嫌いだ。
きらい、という言葉を心底厭う男の告白に刹那は沈黙して、少しだけ眠たげに見える紅茶色の眸を緩慢に動く瞼の影にちらつかせる。子どもの意図がどうであ れ、そのもったいぶるようなその仕種は(もう一人のほうの彼が好む)普段と何ら変わらないように見えたけれども、随分前から両手に挟まれたままのカップと 冷めたミルクは薄い膜を張って沈み込んで内に冷気を押し込めている。
緩く結んでいた唇で少し呼吸をした。その皮膚が完璧な空調の中で乾燥して、その玉が崩れるのをアレルヤは見つけた。
「…自分が嫌いか」
無口なこの子どもに何を望んでいるのかと他人は嘲笑うだろう。それでも、今はこの小さな掌に縋るしかどうしようもないのだ。他に、一体何に頼ればいいのか アレルヤはその対象を見失っていた。混乱しているのかもしれなかった。そして、その混乱は正しく彼を(ひどく冷静な目で)本能の求める存在に導いてくれて いるようにも思えるのだった。
「僕は、それを望んでいる僕が嫌いなんだ。僕が生きている限り、僕は人を殺したがる。絶叫を聞きたがる。僕が生きていることで、…みんなきっと不幸にな る」
そんなところ、見たくない。俯いた視線は、それでも密かにその子どもの横顔を見つめる。
滑稽なほどの渇望、切望した。慈悲を! 刹那はそんな熱も露知らず沈黙する。花びらをすかしたような瞼が重そうに上下して、しかしそれは単に言葉に詰まっているのではなく、口の中で丁寧に硝子の 玉の表面を磨き上げているような感じがしたのでアレルヤはじっとその言葉を待った。犬のようだと、ハレルヤが笑っている気がした。
「ハレルヤは?」
「え?」
「ハレルヤも、嫌いなのか」
嫌いな訳がないじゃないかと答えるのは簡単だった。でもそうしなかったのはそれが嘘だったからではない。本当に、そんな訳はないのだ。だって、ハレルヤが 好きな自分をアレルヤは考えた事がなかった。ハレルヤを嫌う、嫌いになる、という感覚すら想像できない。(なんて愚かな事だろう?)
「……あ…」
しかし逆はどうだろう?ハレルヤがアレルヤを嫌いになることは有り得るんじゃないか。
例えばもし、口さえ聞いてくれなくなったら。守ってくれなくなったら?
例えばもし、大好きな人を目の前で傷付けられたら。
例えばもし、この子どもが目の前で八つ裂きにされたら?
胸の布がはさみで切り取られたように隙間風が入り込んですっと冷え込む。怖い。嫌、いやだ、嫌わないで。そんな言葉が口の中で渦を巻いて暴れまわる。ぐる ぐるぐるぐる。目の奥では松明が揺れて、鼻の底に針を落としたような痛みが走った。痛い、嫌だよ!
「お前は、ハレルヤが嫌いなのか?」
「嫌いなわけ、」
「嘘だ」
「嘘なんかじゃ」
「嘘」
「嘘じゃないよ!僕はハレルヤが好きだよ!どうして嘘なんて言うの!」
ぼろぼろと、涙腺は決壊して水を溢れさせる。どうして、この子どもはこんなに優しくないのだろう。慰めて欲しいのに。触れて欲しいのに。いつも欲しいもの は手に入らないんだ。全部、もって行かれてしまう。アレルヤの周りに残るのはいつも愛着がある程度のもので、本当に好きなものは、好きになったものはいつ の間にかアレルヤから遠く離れて壊れてしまう。ハレルヤが壊してしまうのだ、笑いながら。
「刹那は、僕のこと嫌いなの…」
また延々と続く泣き言は蔓のように延びた指にかすみとられる。見開いた目は、幼い指が自分から溢れたものを嘗め取る赤を凝視した。
「俺は、ハレルヤを嫌うお前が嫌いだ」
ぱちり、と瞬きをする。状況を飲み込めないようなぼんやりとした目が次第に輝き始め、にこりと笑んで小さな身体を抱きしめる。
「…ほんとう?だったら、何も心配はないよ。だって僕、ハレルヤのこと好きだもの!」
だから、きっと刹那も壊れないよ。いなくならないよ。僕もハレルヤも刹那のこと大好きだからね!アレルヤはそう言って満足そうに、自分の涙を嘗めたその慈 悲深い唇にくちづけをした。












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