あまりに星が近くにあるから手を伸ばしてみた。
燦然とした輝きは、既に死んだ光と知っていても抗い難い尊さと高潔さをもって刹那を誘惑した。
彼の未だ幼い指と指の透き間は星が気まぐれに瞬く度に世界と 曖昧になってマーブルを描くようだ。星と溶け合えたら、きっと魂は美しくなるだろうか。
そんなことを、信仰するようにときどき考えてしまう。死んだ後に星 になる、と夢想した昔のひとはこんな景色を見たに違いなかった。
「……」
ふと、その空想の狭間が遮られた。横から伸びた大きな手が、宇宙に住む薔薇に合図するように手を振る。ひらひらと星の瞬きを真似して動き、中指と小指だけ を立たせ、動かして「こんこん」と高い声色を作ってみせる。 その幼さに呆れた溜息を漏らし、掌で出来た動物を追い返そうと翳していた手をかえせば、本当の夢のように消えてしまったその生き物がかたちを変えて刹那の 手首を捕らえた。仮初の肉食獣が宿ったような、意外な程の素早さだった。
「…ロックオン」
言外に離せ、という想いをこめて呼んだ名は、刹那の思惟を離れてひどく甘く響いた。 もっと触れたいと願ったのは刹那ではなく、ロックオンの手に囚われた手首の皮膚なのに。
「…何してる」
ふわふわと手は動いて空を探る。一番大きな輝きを探していた。意図が判らずに困惑した刹那を置いてきぼりにして、勝手な手は探し当てた光に緩く握られた幼 い拳をくっつけた。
「左手だったら良かったのにな」
「…?なにが」
「指輪だよ」
隣に寝転がったロックオンからはきっと別の景色が見えているのだろう。彼の言葉はときどき謎々のように意地悪になって刹那を困らせるのだった。 その意気地を非難しようと横を向いた刹那を、碧の星が迎える。刹那が振り向いた瞬間に、刹那が、空から魂を切り離してロックオンに向き直ったときに宇宙は そこに生まれたのだった。刹那の魂と同化しようとしたのかも知れない。甘えたがりの光は、ゆっくり刹那に近付いてくる。
「ロックオン」
刹那のためだけの星が瞬いた。ただひたすらに優しい光は粒子となってそっと刹那の薄闇の肌地へと降り立つ。それを追うようにして、ロックオンの大きな手は 蝶になって皮膚でできた花びらに吸い寄せられる。刹那が隠した蜜を求めて、唇は重ねられた。 冷たく乾いた唇は、吐息が洩れるたびに濡れて赤い血の湿り気を帯びる。生々しい、しかし御伽のように甘い味に刹那は酔いしれた。口の中に溢れる唾液はいつ もと変わらずに無機質なはずなのに、別の体温と混じりあった途端、どうしてこんなにも甘く暖かく輝くのだろうか。
「……っ…ふ…」
翻弄される感覚が、心地の善いものだと感じるのは異常なことだろうか。顎の皮膚に食い込んだロックオンの爪は短く切りそろえられて磨かれ、柔らかかった。 その柔らかさの理由を刹那は知っている。人殺しをするため。より正確に目標を定めるため。けれどもそれは時々涙を拭いたり、髪を撫でたり唇に触れて体温を せがむものへと変化した、淋しいと言うように。
微かな鉄とバニラの匂いを着て、その矛盾した手は優しくて乱暴で狡い、甘やかな鎖となって刹那を逃がさな かった。愚かにも思える切望を、体温などすぐに冷たくなるものだと振り払うことなど出来なかった。その切望は刹那のものでもあったから。 涙が溢れそうだった。ずっと、淋しかったことを忘れていたのに。血など、本当は全然欲しくないんだ。久々に、否、もしかしたら初めて訪れる感情の波に刹那 の身体が内から崩れるようにして震えた。
「ロ…ク……」
手を伸ばす。刹那だけの星。今だけ、世界の人口は二人になる。
滑る舌の、そこから溢れ出す全てを飲み干したい。白い息と共に吐き出された、星を呼ぶ声はきっと熱を伴ってふわふわと浮かんで雲を作ったのだ。そうでなけ れば、降り注ぐこの光の雨をどう説明できよう? 淡く発光する頬に震える薬指が触れる。
冷たい外気の中で、そこだけに狂ったように夏が在った。












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