うっすらと開けた視界に、見慣れた優しい茶色が目に入って刹 那はようやく絡みつく夢の余韻から抜け出した。蛍光灯の光が目に痛い。ミッションの後、泥のような眠気に足を囚われていた刹那は、自分の肌をすべっていく 細く柔らかい感覚に眉を顰める。自室のはずなのに、何故か漂う自分以外の匂いに鼻腔が反応し、やがて霧の晴れた視界にそれが映った。
緑の光が、刹那にじっと注がれていた。しかしどうしてだろう。その光彩がいつもと違う気がする。新緑の優しさを湛えるそれは常の陽だまりを亡くしてどこか 無機質に冷たいのだ。
「ロックオン…?」
刹那が小さく、舌足らずな口調で呼びかけた。その幼い響きに、その緑はより一層愛しいというように三日月を作って、しかしすぐに暗く光を帯びた。
「刹那」
いつもの、掠れ、自分を甘やかす声はこの時ばかりは棘が潜んでいる。密かに服の中に這わされていた手が、明確な意図をもってするり、と眠気に茹る肌をそっ とさすって、刹那は鋭く息を飲み込んだ。
「ロッ…」
突然に与えられた冷気に息を潜めた刹那を、ロックオンの――否、それの鏡像がくすりと笑った。
「ロックオ、ン」
違う、とは判っていても刹那はこの名前以外知らない。いじわるく笑う、知っているはずの顔を刹那はどこか呆然と見上げて、刹那の意思を全く無視した前戯を 受ける。耳朶舐める舌を刹那は知っている。これと同じもの、同じとしか思えないものにいつも散々嬲られるのだ。その薄さも、動きも、温度さえも神経は知っ ている。 その舌が、驚きに動きを停止した刹那の、胸に浮く赤い尖りに柔らかく触れたところで、ス、と扉が開く。釣糸のような光がぶわりと膨張していく中に顕れた姿 に、刹那は目を見開いた。
「ロ…」
上手く言葉を紡げない、小さな口をちゅ、と塞いでロックオンと全く同じ容をしたものはまた笑う。遅いじゃないか、と。
「なに…、」
「刹那」
呼んだのは、どちらの声なのだろうか。扉から身を滑らせた男は、いつも見せたことのないような冷たい双眸で刹那を見て、「おしおきだよ」と笑ったのだっ た。
一歩、また一歩とロックオンが距離を詰める度に一度ずつ室温が下がっていく気がする。この温室の、刹那が生きてきた戦場とは無縁の温室が、今は不穏な空気 を孕んで神経に嚙み付いて、彼を形成する皮膚がぶわりと粟立たせた。警鐘が耳鳴りのようにざわめいている。刹那は眸に光を戻すと、自分に覆いかぶさろうと する男を振り解こうと腕を振り上げた。
「――!」
「おっと」
穏やかな(残酷なほど)仮面を貼り付けたまま、男は振り上げた腕を捕まえられ、そのまま背中を膝で押されてやわらかいとは言えないベッドに押し付けられ る。 ぐ、と刹那の口から押しつぶされた呼吸が洩れて、怒りを含んだ赤銅色が睨み上げるが、細まった緑と合った途端に当惑に揺れて炎は勢いを喪う。
「いい子だ」
混乱を押し付けて反抗しようとしても、姿を見ればどうしてもそれが躊躇われる。いつも、優しかった、色。 なのにどうして、とか、その変化ばかりに戸惑って保身を忘れてしまう。寝起きの所為だけではなく、刹那の動きは芒洋として鈍い。徒、むずかるように身を捩 る刹那の弱々しい抵抗に、「よく躾けられてるじゃないか」と近付く男に彼は笑った。
「だろう?」
長い指を包む手袋を歯で噛んで取り去る。真っ白な掌が(きっと、見たことのある者は少ない)ひらりと暗闇に煌いて刹那に伸ばされた。首を捻ってそれを見つ けた刹那は背を回る悪寒に息を飲み込んだ。抑えられている腕を外そうと必死にもがく。
「くる、な!…はなせ…っ」
喉から短い叫びが毀れる。途切れがちなそれは悲痛だった。 放せ、と叫んだ口がそっと塞がれる。しなやかに軟らかい掌。大きなそれが刹那の顔に吸い付いて次の悲鳴を押し殺した。仰け反った細い咽がひくりと痙攣し、 強張った身体に圧し掛かった男は笑いながら緩めた服をぐいと引張っる。腕を通したままのそれは、幾つかボタンを飛ばした。腕が無理な方向に捻られ、苦痛に 顔を歪ませた刹那の耳に笑んだ唇が寄せられ、やわらかい囁きが吹き込まれた。
「言っただろう?…おしおきだって」
――判らない。しかし、脳に直接差し込まれる声に刹那の身体の緊張が、ゆっくりと解けていく。困惑してばかりだった双眸はぽかりと空いて、傷ついた石のよ うに鈍くそこに転がる。抵抗をすっかり無くした刹那に「ホント、いい子だな」と哀れな口を抑えた男は低く呟いた。




三人分の体重を掛けられていることに不満を示すように、ベッドはぎしぎしと不快な音を立てた。思わず顔を顰めてしまいそうなその不協和音を背景に、刹那は その中心にいた。膝を立てて座り込んだロックオンの(そうとしか思えない)、その長い脚の檻に囚われるように刹那は膝をつき、目の前の男にしな垂れかか る。 その背中にだらりと回された腕は、与えられる快楽に時々ひくりと震えて緩く爪を立てる。見たくない光景から刹那は閉じた瞼の裏側に注意を向ける。しかしそ こも、慣れ親しんだ暗闇は弱く、弾けるようにして白が迫っていた。
「刹那…、気持ちいいか?」
立てた爪が細かく震えたから、声の持ち主を知ることは容易だった。堪えるように唇を噛む刹那の、その本能を拒む壁を溶かそうとする手は震える性器を緩やか に握って扱いていた。上下に動く、またはその繊細に過ぎる指で際を掠められる度に、刹那は白の淵に追い込まれるようだった。
「…、……」
息継ぎの、僅かな隙間から御しがたい震えが毀れるようだった。それをごまかすように、猫が縄張りを主張するのと同じ仕種で額を首筋にこすりつけた。首元を 擽る所作にロックオンは目を細める。表皮に触れられたのに、地の底を舐められたように感じた。
「や、…ぁ…」
一番弱い場所を弄られる、その刺激から逃れたいと願うのに、後ろから迫る壁がそれを許さなかった。 前を弄る奇妙に美しい手と、寸分違わぬ指が刹那の後孔を掻き混ぜている。長い中指が、ぐるりと円を描きながら行き来する度にぐちゅりと濡れた音が響いた。 刹那から毀れる先走りに十分に湿ったそこは柔らかく、締め付けるその感覚を愉しむように細い指が動くのだった。
「刹那…嫌か?」
爆発しそうな体温が集中した耳朶に唇が寄った。舌が伸びて、陵辱するように浸入して鼓膜に直接水音が届く。 小さな悲鳴と共に指を突き入れられたそこが締まって指に絡みつく。
「嫌じゃないだろ?こんなにしておいて、」
「…い…ぁ、あ、」
意識を飛ばそうとすれば、性器に絡んだ指が先端を押さえつけて解放を許さない。 体内を暴れる熱に翻弄され、刹那はただ背中に爪を立ててそれを押さえ込むしかなかった。後ろを弄り回されても気持ち悪さしか感じないはずなのに、ぐりぐり と中を掻き回されれば、おかしくなってしまった神経は快楽を拾って膝を奮わせるのだった。眸に涙が溢れる。 忍び寄るようなその感覚が嫌で、瞼を固く閉じて刹那は目の前にある肩に嚙み付いた。
「…ふ、……ぅ、あ…っ」
破れた皮膚から血が滲む。その無惨な光景(しかし背徳的ではあった)から刹那は目を逸らす。 そんな余裕などない筈なのにひどいことをしてしまった気分になった。それは後ろに立つ男も同じようで、耳の輪郭をなぞっていた舌をこめかみに沿わせて柔ら かな頬に小さな音を立ててくちづける。
「心配してる余裕なんてあんのか?」
「…っ!」
ぞわり、と背中に痺れが走るような声音で囁かれた後、腰を持ち上げられて引張られる。不安定に身体が浮いて刹那は瞬間息を止めて目を見開いた。 見開いたその眸は背中を押され、腹がベッドに密着する事でスプリングの音と共にぎゅ、と閉じられた。 腰だけが高く掲げられて、臀部を鷲掴んで粘膜が引き伸ばされる。
「っや、…やだ…!」
幼い子供のように首を振る。本当に幼いときさえもしなかった。あの場所では悲鳴はただ人の狂った神経に愉悦を与えるだけだと知っていた。 ぬるりと、熱くぬめるものが微肉に当てられて擦れる。嫌だ、と叫ぼうとする唇は髪を掴まれてベッドに這っていた顔を持ち上げられて怒張した楔が押し付けら れ、口腔に無理矢理滑り込む。
「ふっ…ン、…う…ッ」
悲鳴は後孔に割り込んだ性器に掻き消される。中指だけで慣らされた場所は圧倒的な質量に耐え切れずにびりびりとした痛みを訴えた。 苦しい。酸素を求めて口を開けばまるで誘い込むようなその動きが喉奥に男の昂ぶりを迎えることになる。先端が何度も柔らかい壁を突いて、刹那はえずくのだ が、緑の眸はずっとそれを笑っていた。涙が毀れるその様子ですら甘美であると言うように。
「…ぅ、ん…ん…っ…」
ぐちゅ、と口の端から透明な泡が溢れる。唾液と先走りの混じった生臭い泡。顎を伝って、それが波打つシーツの中に落ちていく。 そこには、既に刹那の勃起した中心から落ちる白に汚れている。絶頂から遠ざけられていた先端からは先走りと精液とが混ざったものがだらしなく流れた。 後ろからぐちぐちと音を立てて注入を繰り返す男はそれを掬ってくつくつと笑った。
「汚いな。こんない汚して…、」
「…は、…っ…やっ、あ…!」
どぷり、と口の中に白濁が溢れた。迸りを吐き出しながら口腔から抜かれたそれは、そのまま目を見開く刹那の顔を汚す。 薄闇の肌にその白はよく映えて、満足そうにロックオンは「汚い」と目を細める。背中で笑い声が洩れる。深くまで沈みこんだ楔は、ずぶ、と音を立てて入り口 まで引き出されて再び埋まる。
「あ、アッ…やっ…ろ、…ロッ…オン…!」
全身が震える。痙攣する声で叫んだその名前に、白く霞んだ視界の先にあった男の眸が冷たく凍りついた。
「刹那」
「…あ…、ぁ…、」
弛緩した身体が、腋の下から持ち上げられる。 そのままぐたりと力をなくした身体は仰向けに倒され、水の中を漂うように潤んだ眸の中に、ロックオンの顔が覗きこんだ。
「まだだよ、刹那」
抱えられる膝に、刹那は瞼を閉じる。そのまま暗闇に沈んでいく意識の隅に、男の笑い声がこびり付いていた。



◇ ◇ ◇



「……!」
呼吸がひどく乱れていた。心臓の音がうるさくて、まるで部屋の中央に飛び出して耳元で鼓膜を震わせるようで。背中には冷や汗が流れ、肩で呼吸をする度に空 く隙間から外気が入り込んで汗を冷やし、肌の熱を奇妙に奪っていく。首を回らせる。しん、と静まり返った部屋は刹那の他に人影を落とさずに沈黙している。 ゆっくりと、息を吐き出す。安堵の息。静寂がこれほどやさしいものとは知らなかった。それと同時に悪夢の余韻が脳裏を掠める。
…なぜ、あんなものを見た。
冷たい虹彩の色。自分を呼ぶ声は氷のようで、ナイフより何倍も鋭く肌を内側から切り裂いた。傷付けるためだけのセックスなど、ロックオンから強要されたこ となどないのに。 俯いた視線に震えた指先があった。全身の神経が針のように鋭くなって、その聴覚の棘がコンコン、と扉を叩くノックの音を拾った。
「刹那ー起きてるかー?」
声の持ち主に、一瞬びくりと身体が硬直する。しかしその、明るく抜けるような声に、徐々にその強張りも取れ、のろのろとベッドから立ち上がった。裸足のま ま扉まで行き、ロックを解除すればロックオンが呆れたような溜息を吐いて刹那を見下ろしている。
「お前、まだ寝てたのか!今日は調整入ってるってのに」
遠慮のない掌は刹那の寝癖ごと頭を乱暴に撫ぜる。
その仕種に密かに安心して床に視線を落とした刹那は、ロックオンの肩に残る赤い痕を知らなかった。












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