トレミーの仮眠室に行くと、ふと見上げた視線の中にベットに うつ伏せに潰れている青年を刹那は見つけた。部屋の中は先程まで居た部屋とは言わないまでも、酒の気が糸のように充満していて刹那は小さく溜息を吐く。服 に染み込んでしまった匂いを嗅いで、酒の匂いには慣れることはないだろうと思う。そんな中でも平気なのだろうか、陸に釣り上げられたタコのようにぐったり と脱力している青年はいかにも、という様子で判り易く酔い潰れている。
刹那が無表情に近付いても反応はない。しゃがみこんで顔を覗いてみるが、固そうな枕に顔面は埋まってしまって(鼻が潰れたりしてしまわないだろうか)、茹 で上げられたように赤くなった耳しか伺えなかった。
「……」
刹那はぱち、とその丸い目を瞬かせた後、その髪の束を摘んでみる。起きる気配がないのを確認すると、次はつん、と肩をつつく。すると、「うぅ…」と小さい 呻きが洩れて、ころりと首が傾いた。
「…」
…面白い。つんつん。次は刹那の方を向いた後頭部をついてみる。
丸い後頭部は突いて下さいと言わんばかりだ。ぐるぐると巻いた形の良いつむじをつんつんと突いてみると、肩が小刻みに震えて「やめてぇ…」と次はぼんやり と掠れた声が返ってくる。寝息に紛れそうなその声を拾って、刹那は指の針をようやく止めた。
未練がましくじぃ、と次はその後頭部を見つめていると、その視線の圧に負けたのか、震えていた肩がゆっくりと上下し、(溜息だったのだろう)壁を向いてい た面がゆっくりと刹那に向けられた。
「……刹那」
溜息(二度目の、)と共に名前を呼ばれる、その響きを聞く刹那は、また瞬きをすると「ハレルヤは?」と首を傾げた。先程まで散々に酒を煽っていたのはハレ ルヤだったから。しかしその問にアレルヤは皮膚を摘まれたように一瞬目を細め、そして一瞬の間の後にふ、と小さく微笑んだ。
「寝てるよ」
何か用?と温い曇りの空のような色に見つめられ、刹那はアレルヤを苦しめていた手とは逆の手をずい、とアレルヤの眼前に突き出した。
「…?」
「二日酔いにならないそうだ」
小さな掌に乗ったのは黄色い小瓶だ。見慣れないそれを不思議そうに見つめるアレルヤに、刹那は憮然と答えた。それでもまだぼうっと小瓶を見つめたまま動か ないアレルヤに、刹那はその蓋を開け、アレルヤの口に近付ける。
「飲め」
刹那の勢いにアレルヤは一度その真剣な丸い鏡を見返し、恐る恐るその小瓶に鼻を寄せる。すん、とその臭いを嗅ぎ取った彼は、う、と眉間に皺を寄せる。
「…、刹那…なんか、これ…変なにおいがするよ」
「仕方がない。飲め」
「ちょっ…と、…ぶ」
嫌だ、とまた寝返りをうとうとしたアレルヤはぐいと刹那に顎を押さえられ独特の臭いを放つ小瓶を口に突っ込まれた。アレルヤの口の中に小瓶が入ったのを無 表情で確認すると姿勢も気にせず小瓶を傾ける。喉に突っかかりそうになるその不思議な液体を、アレルヤは上体を起こすことで何とか回避した。彼の飲む意思 を感じた刹那は、そっと掴んでいた顎を解放して(結構な力だった)苦悶の表情を浮かべながら小瓶を飲み干す青年を見つめる。そして口の端に小瓶の中身の黄 色を見つけ、自分の首に巻いている赤い布を取り外すと、ぽいとアレルヤの膝の上に放ってやった。
「ごほっ…ごほ…、…ぇ」
「吐くな」
口元をその布で覆って咽るアレルヤの背中を摩りながら刹那は眉根を寄せる。
「うぅー…」
アレルヤはしきりに唾を飲み込みながらゆっくりと上体を傾け枕に頭を投げ出した。震える手から布を奪い取った刹那は、アレルヤが汚した部位に目を落とす。
「…ごめん。汚しちゃったね」
「別に、いい」
飲んだならいい、と刹那は首を振った。刹那が気にしたのは自分のものを汚されたことより、薬を吐き出したことだったが、すまなそうに眉を下げていたアレル ヤは「やさしいね」と頬を綻ばせた。
「…みんな、まだ飲んでるのかな」
「ティエリアは寝た。ロックオンは捕まってる」
「ああ…スメラギさんか…。そう言えば、刹那は?飲まされなかった?」
マイスター最年長の彼が、酒豪の戦術予報士に酒の肴にされている情景が簡単に想像できてアレルヤは苦笑した。明らかに年の行かない刹那に酒を勧める者はい ないだろうが、心配して訊ねてみれば、刹那は「ハレルヤに、」と言って目を伏せる。
「ハレルヤに飲まされたの?」
「いや。ジュースを」
がば、とまた上体を起こしたアレルヤに刹那はまた首を振る。なんだぁ…とほっと息を吐くアレルヤに、しかし刹那は「よくない」と眉を顰めた。
「どうして?美味しくなかったの?」
小首を傾げたアレルヤに「口の中がべたべたする」と刹那は表情を曇らせた。(子どもは誰も甘いものが好きとは限らない、とは判っていても固定概念はなかな か覆らないものだね、ハレルヤ?)アレルヤはそう、と肯いて笑って口を尖らせる刹那の頭を撫でてやった。
「災難だったね。口の中、見せてごらん」
あーん、と口を開けて見せると、刹那も木霊のように真似してあーん、と小さな口を開けた。雛鳥が餌をねだるのを連想させる仕種だった。大して意味もなく開 けさせたその赤い空洞を見つめると、綺麗な歯が並んでいる、その中に隙間があるのを見つけてあ、とアレルヤは声を上げた。
「刹那、最近歯抜けた?」
「…ああ」
「歯は?どうしたの?」
「捨てた」
「駄目だよ!」
きょとん、と瞬きを続ける刹那の両肩を掴んで、アレルヤは小さく叫んだ。
「抜けた歯はちゃんと枕の下に隠しておかないと、歯の妖精が祝福に来れないじゃない!」
「…はのようせい?」
聞きなれない言葉に刹那は怪訝な表情を浮かべた。アレルヤも時々、よく判らないことを言う。そんな感情がその表情からありありと判って、アレルヤはむ、と 頬を膨らませて説明にかかる。
「歯の妖精にちゃんと抜けた歯を教えないと、…祝福に来れないんだよ!」
先程と同じ説明を繰り返すアレルヤは、完全に酔っ払いだった。あの薬、効かないじゃないか、と刹那は恨みがましく枕の横に転がる小瓶を睨む。八つ当たられ た小瓶はたまった物じゃないだろう、酔いが治るという効用などないのだから。
「それで、それで…悪い歯の悪魔が歯を盗みに来るんだよ!たぶん!」
「…そうか」
根拠のない持論を展開するアレルヤに、ぐらぐらと上下に揺さぶられながら(反対の対場だったらどうなっているのだろう)一応了解を示した刹那は、ぶれる視 界が眠気を呼び起こすのか、瞼が重たくなっていくのを感じた。ああ、眠い。先程促されたのとは別に、刹那はふぁ、と口を開けてアレルヤに眠気を訴える。そ れを見てぴたり、と動きを止めたアレルヤは、何か閃いたのだろう、次は曇りの空に太陽が射したように眸を輝かせて刹那の二の腕を引張った。
「眠いの?じゃあ一緒に寝なきゃ駄目だよ!」
「……ああ」
何を閃いて、何が駄目なのかは良く判らないが、ざぶざぶと眠気の海の沖に追いやられて、刹那は力なく肯いた。横目で見たベッドは、リヒテンダールが転げ落 ちて空いているのだが、にこにこと上機嫌に場所を空けているアレルヤを見ているとどうでも良くなってしまう。もう一度小さな欠伸を吐いた刹那は、汚れたス トールを床の上の哀れな男に放り投げ、瞼を閉じた。












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