頭の上を覆う青が、陽に水分を喪ったように色を濃くしてその 中に走る白線が目立ち始めている。
風の匂いを嗅げば薄緑、そして道端には幾らか前に地に降りた雪の結晶が、訪れる春の気配に微笑むように光を放つ。春に焦がれるのは人間も同じで、ロックオ ンはこの時期に、四季の移ろいの美しいこの土地に訪れることができたことに感謝をした。
それを誘ったのかもしれない、ふわふわと風に揺られる黒い髪の束をロックオンは少し前から追いかけている。丁度散歩がてらに件の家に向かおうとしていたと ころ、重そうな袋を両手から提げている後姿を発見したのだった。 すぐに声をかけるべきか迷ったが、すぐに追いつくだろうと敢えてその邂逅を長引かせる。気づくかな、と考えながら歩くとなぜか楽しい気分になって、一歩足 を進めるたびに距離は近付いて、とんとん、という柔らかくないアスファルトを靴の底が叩く音がすれば、近付く背中にロックオンは微笑みが深くなる。周囲を 包む空気が、不思議と温かくなる気がした。
「せーつな、」
もういいか、とあと四歩くらいの(刹那の足ならば恐らく五歩)距離で声をかければ、淡々と刻まれていた身体の打楽器は音を止めて、焦げたルビーはロックオ ンを振り返った。その、風など何の、と殆ど揺るがない鉱石は動揺するように揺れて、あ、驚いている、とロックオンは自分でしかけた悪戯に自分で驚いて、や がてゆっくりと静まり返る水の表面に同じような呼吸で常を取り戻し、よう、と無難な言葉を選んで手を上げた。 立ち竦んだ刹那に追いついて、「どうしたよ、買い物?」とその半透明の袋を覗き込めば、赤、黄金色、土色、と暖色ばかりが視界に飛び込んできてロックオン は驚く。どれも丸い果物だったりするので、その重量たるや想像に難くなく、薄いだけの袋は破れてしまわないかと思うと同時に鍛えているとは言え、どうにも 見た目は頼りないその細腕にぶら下がる様子がどうにも痛々しくロックオンは眉を顰めた。
その様子をなんとなく横目で見ていた刹那は、眉をしかめたロックオンの、その所作の源が判らないので不思議そうに睫を揺らしている。
かみ合わないなあ、とロックオンは刹那のことを彼が自分を理解するよりは判っているので苦笑し、その苦い笑みの出所も判らないでいる刹那の髪を軽く混ぜ返 した。当然、刹那は全く判らないで困惑し、戸惑ったように「触るな」と言うしかないのだけれど。
「今から、お前の家に行こうと思って」
「…そうか」
「なんだよそれ。もっと驚けっての」
そっけない返事の刹那にそう言えば、小さな口は「お前が、」と言いかけ、次に迷ったように言葉を飲み込んでしまった。何かを言いよどむなど珍しいから、 ロックオンは黙って続きを待つのだけれど、刹那にその意思はないようで重い荷物をぶら下げたまま黙って歩き続ける。
「重くないか?荷物、持ってやろうか」
「…別に平気だ」
「さっき、何を言いかけた?」
「なんでもない」
「へー、あっそう」
言いたくないことなのだろうが、素気無い返事の往来にロックオンは拗ねるように言葉を切り上げ、歩みを速めた。 いつも通りの態度を取られているだけだというのに、何故かそれが悲しいのはきっと今日が3月3日で、ニール・ディランディが生まれた日で、それに肩を寄せ るやさしい思い出(と言葉)があって、それをきっとこの子どもにも望んでいるからなのだろう。なんて子どもじみた、とロックオンは自分を笑いながら、がさ がさとビニールの擦れる音が遠のくのを聞きながら、ごめん、と心の隅で刹那に謝った。
「ロックオン」
刹那の声が、ロックオンの背中を呼んだ。大きな声ではなかったけれども、耳にしっかりと届いたそれにロックオンの足が僅かに鈍る。が、今更恥ずかしい気持 ちと、自分の表情を想像すれば憚れて、歩く速さも歩幅もそのままで、小さな足音は遠ざかるばかりだ。どうしよう、と目の奥が僅かに痛んで、ロックオンは 「驚いたか?」と笑って振り返ろうと思った、その瞬間にがさがさ、と大きな音が走ってくるからロックオンは逆に驚かされて立ち止まった。
「…ロックオン、」
声が、すぐ後ろから聞こえた。すぐ後ろにいるのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、ロックオンは驚いてしまって返事が喉で引っかかって一度黙りこ む。 しかし、返事を催促するように服の端を掴んで無言で引張るものだから、ロックオンはくすぐったい笑いを浮かべて振り返った。
「どうした?」
「……」
刹那は、黙り込む。顔を近づけてその表情を覗けば、眸は彷徨って地面の照り返しを追いかけ、そしてまたロックオン、と名前を言って、次に大きなビニール袋 がロックオンの眼前に突き出された。
「…平気じゃなかったのか?」
意地悪な問いをすれば、刹那は困ったように眉を顰めて目線を彷徨わせるので、ロックオンはずるい自分の言葉に反省した。それでもこの珍しい子どもの行為が 嬉しくて、「しょうがねえな」とその見た目通りに重たい荷物を悪態吐きつつも取り上げる。そして、また無表情に戻ろうとする子どもの空いた手を取った。
「…、」
まるで恋人同士のように手を繋いだロックオンを、刹那は批難するように見上げたのだけれど、そこに見つけたのは本当に嬉しそうに微笑んでいる表情で、また 刹那は言葉を飲み込んだ。ロックオンは笑い、「俺、今日誕生日なんだ」と告げた。刹那が驚いたように目を開く。
「だから、ちょっとくらいいいだろ?」
「……」
駄目か?と首を傾げれば刹那は真摯なその目に逆らえなくて一度俯いた後、その俯きに埋めるように肯いた。 刹那の小さな手が、ロックオンの手の中にしっかり握られる。黒い布が邪魔だな、とロックオンは思う。しかし手を離せば、この子どもはきっと離れていってし まうからロックオンはそれを離さないようにぎゅ、と強く握る。小さな骨の重なりさえ愛おしい。ただ未熟なだけの、弱い子どもではないのは承知しているのだ が、どうしても甘やかしてしまいたくなるのは何故だろう。表情を失った顔を、泣き顔と重ねてしまうのは何故だろう。単純な庇護欲ではなく、肌に触れて抱き しめたいと感じる。ただ手を握っただけで想いが溢れそうで、ロックオンは風に吹かれた唇を噛んで、前を見た。
「帰ったら、一緒にシチュー作ろうな」
いっぱいのミルクと、じゃがいもを使って。刹那は肯く代わりに握った手を少し振って、遅れそうになる足取りに小走りで追いつき、 「じゃがいも、いっぱい入れてやる」 と少し赤い頬で呟いた。












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