静かに漣の立つ相貌が、光の透ける薄い紙を、紅蓮に似たそ の色で燃やし尽くしてしまうかのようにじ、と見つめている。静かに凪ぐ夕暮れの汐の鏡のようなそれは小さく揺らいで、常の体裁を崩していた。
 いつもより幽かに険しく、わずかに切ないそれに気づくのは保護者役のアイルランド人か、世話好きの二重人格者(但し一方の彼も刹那の世話を焼くのは好ま しく思っているようであった、実は)、または口煩くこれまた世話好きな年齢不詳しかおらず、その何れとも遭遇を果たしていない今日の刹那は、その奇異を誰 にも気付かれないでいた。
「……、」
 ふ、と小さく粋の洩れる音がした。口から細く出でたそれが、糸のような流れとなって、揺らぐ焔のように柔らかく指に挟まれた紙を波立たせる。
「あれ、刹那?」
「っ…なんだ、急に」
 足元を浚う微風が連れて来たのか、…さてはその敏い神経が糸を手繰ったのか、ため息が吹き込んだそこにアレルヤと、突然入り口付近で立ち止まったその背 中に鼻の頭をぶつけたティエリアが立っていた。アレルヤは小さくごめん、と付け加えるように言って、にわかに刹那の空気の差異を感じ取ったのか、どうした の、元気ないねと子どもが母親に尋ねるような口調で刹那に問う。そろりと近づき、刹那の持つものを覗き込み、あっと声を上げた。
「それって、この間のメディカルチェックの?」
 トレミーのメンバー、取り分けガンダムを扱うマイスターは機体との適合性を図るためにも頻繁にメディカルチェックを行う。血液検査から視力検査、CTス キャンま で、様々なチェックを入念に行う。人間のメンテナンスと言ったところだ。逆に言えば、その検査をパスしなければガンダムに乗る資格はないということであ る。
「なんだ、また身長が伸びなかったのか」
「ティエリア、」
 刹那を常ならずにしているのは何もその検査の結果が芳しくないとかそういうことではない。
むしろ、刹那の身体は健康そのものだ。小柄で俊敏で強靭な刹那の身体はMSの、特に機敏な動きを要請されるエクシアのパイロットとして理想と言ってもい い。しかし、本人がそれを理想と思うかは別の話で ある。ティエリアの言に、刹那は小さく呟いた。
「……少し、伸びた」
「伸びたと言っても二ミリだろう」
「…詳しいね」
 何故知っている、と言うように見開いた刹那の視界を反射してアレルヤが言った。それに対し、ティエリアは「マイスターの身体情報へのアクセスは制限され ていない」と冷たい顔を背ける。
「でも伸びたんでしょう?良かったじゃない」
「今までは三ミリは伸びていたからな。だからだろう」
 傾けた首のままティエリアが言い、そこでようやくアレルヤが口を噤む。…喋れば喋るほど刹那の足場を追い詰めているような気がしたのだ。(アレルヤにし ては冊子が良かった)それは事実であ り逆に虚実でもあった。ティエリアがそれ位で口を止める者ではなかったのだ。
「大体君は食生活に偏りがありすぎる。身長が伸びないのは栄養価のバランスが悪いからだ」
「…血液検査は、大丈夫だった」
 好き嫌いもない、と刹那は首に巻かれた布に頬を埋める。逃れるような仕種に、ティエリアは幽かに身体を寄せて追い詰めた。
「大体君の昨夜の夕食は何だ。カップ麺に公園のホットドック。そんなもので栄養が補えるとでも思っているのか」
「…ええと…、詳しいね」
 アレルヤの言葉が静かにグラスに弾かれる。妙な間のあと、ティエリアは刹那に向けて続けた。
「…兎に角、マイスターの自覚があるというのなら生活の改善から勤めたらどうだ?このままでは、本当に止まるかもしれないぞ」
 アレルヤは密かに溜息を吐く。鼻を鳴らすティエリアの本音は恐らく科白の最後あたりに現れていると思うのだが、如何せん言い方というものがまるでなって いない。ちら、と刹那の様子を伺えば、予想通りに赤い眸の色は既に温度を下げており、真意なぞ小指の爪ほども伝わっていないことが判る。
 …なんでそんな言い方しかできないのさ、それじゃあまるで舅だよ。トウキョウで見かけたドラマのワンシーンをアレルヤは思い浮かべていた。そう言えば続 きは どうなったのだろうと財布のステーキの行方をアレルヤは現実逃避も兼ねて夢想し始めていた。
「お、どうした?揃いも揃って」
 迷走し始める思考が降った声に途切れて落ち着いた。背の高いその影に、ロックオン、と小さく呟く刹那が僅かに安堵したように肩を下ろしたのは見間違えで はないだろう。それを見つけ、そして彼の前に立つティエリアを見、ロックオンは小さく笑った。
「なんだ、またティエリアにいじめられてたのか」
「違います」
「そうだな。ティエリアは刹那のことを心配して言ってるだけだもんな」
 …言葉に詰まったのはティエリアだけではなかった。
 刹那は、俯けた顔を上げて眸を覆う銀の枠が光を弾くのを追い、そしてその中にある紅玉を大きなその目でじ、と見つめ る。最初にしていたような敵意のあるようなそれではなく、何か深淵を探ろうとするような視線であった。
 その無垢とも言える真っ直ぐな視線から、ティエリアは懸命に逃れようと視線を彷徨わせていた。ロックオンとアレルヤはその遣り取りを微笑ましく見守って いる。
「大体、背の高さなんて個人差だろ。男は二十歳過ぎても伸びるって言うし、気にする事ねえよ」
「…そうなのか」
 ロックオンが言うのに、明らかにほっとした様子で刹那が呟いた。
 可愛いな、とアレルヤが素直に思う。幼いその思考が懐かしかった。自分自身は理由は何にせよ発育が良くそんな悩みすら持たなかったせいか、余計にそう思 う。ロックオン はどうなのだろうと、ふとそんな考えが頭を過ぎった。
「そう言えば、ロックオンはどうなんです?」
「背か?伸びたよ」
 三ミリ、とロックオンが笑う。年も年だし少しだけどな、と続いた言葉に、正しく石が罅割れるようにぴしりと刹那の表情が固まった。それは春に突然寒風が 吹き荒ぶ様子に似ていた。ロックオンは顔色を変え、繕って、その手をわたわたと動かし始める。
「あー…あの、なんだ。刹那はな、その…栄養が偏ってるからじゃないのか?」
 まともなもの食べてないだろお前、と濁すように笑えば、ティエリアが黙っていればいいものの「それはさっき俺から言いました」と言う。刹那の機嫌が無言 のまま、しかし確実に悪くなっていくのを、アレルヤははらはらとただ見て指を慌てさせているだけであった。けだしロックオンが一度息を大きく吐き、静獏の 圧力に屈しない 為にか拳を握った。
「刹那、怒るなよ。お前の食生活が乱れてんのは自分でも判ってんだろ」
「………」
 問いかけには無言のまま、刹那は空を見ている。相変わらず眸の温度は低い。どうするのか、とアレルヤが様子を伺えば、拳は正に刹那で崩れ降参を示すよう に両手が上がる。
「判ったよ、なんか今度旨くて栄養のあるもん作ってやるからさ、ほら、ガリーエ・マーヒーとか」
 だから機嫌直せって、と眉を下げる青年に先程のような賢明さは微塵も感じられない。アレルヤはその負の変わり身に小さく失望の溜息を吐きながらも、聴き なれない言葉を口の中で反芻した。
「ガリーエ・マーヒー?」
「ん?…ああ、刹那が好きだって言うから作ったんだけど結構旨くてな。ああ、そうだ!今度みんなで作って食おうぜ」
「え、僕も良いんですか?」
 アレルヤがその思いつきに目を開く。ロックオンは彼の反応が意外だったのか逆に驚かされたように眸を開いて、その後ああ、と大きく肯いた。
「勿論さ。…ティエリアもな」
「俺は、」
「心配なんだろ?」
  強制参加。ゆっくりと言い聞かせて笑えば、複雑そうな顔でロックオンを睨んでから、また同じように困惑を含んで逸らされる。刹那の頭の上に 浮かぶ猫毛を次は見つめていた。
「よし、じゃあ決まりだな!」
 ロックオンの快活な笑いに反応し、ハロがミンナナカヨシ!ナカヨシ!と繰り返しながら四人の間を飛び跳ねる。 全員が互いの顔を見合わせ、そして、皆が小さく笑った。
















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