てん、てんと何とも間の抜けた、可愛らしいと女性ならば表 現するであろう、兎も角もおよそ戦場とか虐殺現場に はかけ離れた音がこちらに向かって近づいてくるので、俺はぎょっとするしかない。それは今までの生活とは明らかにかけ離れた音だ。非現実的だ。うんと小さ い頃に、俺が 今まで生きてきた三十年という――こうして見ると途方もない時間の中で、一番幸せだったころの記憶に、ほんの僅かに、名残程度に存在する記憶が、それこそ さざ波のように密かに揺さぶられるのを感じた。本当に、幽かに。あれは毬だったか、バスケットのボールだっただろうか、確かあんな橙色をしていたような気 がする。
「ロックオン、ロックオン」
 丸い毬のようなバスケットボールのようなものは迷いなく俺に向かって突進してくる。人間の声とは程遠い、一昔前の機械音声が同じ単語を繰り返して、あ あ、それは俺の新しい名前だったなと、隣に立つ無表情な男を見て思い出した。
 未だに全然慣れないそんな名前を、先程初めて会った、しかも丸い橙に連呼されてもこっちは困るのだ。どうすればいいのか、と取りあえず”それ”を両手で キャッチし て眉を寄せてみる。隣の無表情は動かない。ぱた、と羽のような耳のようなものが動いて眸の部分が点滅する。
「ハロ、ハロ」
「ハロ?」
 首を傾げて、ちらりと男を見る。何て言ったっけ、東洋人の名前は憶え辛いのだ。何だっけな、と一瞬口を開きかけたところで、引き結ばれていた唇だけ(他 は動かなかった!)がまるで俺の言葉を嫌うみたいな感じで呟いた。
「ハロが、ケルディムの補佐をする」
 ハロ、ケルディム。また聞きなれない単語が並ぶので瞬きをするのだが、男はもう自分の仕事は終えたと言わんばかりに黙りこんで口元を俯けるので次は手の 中のボール――多分、こいつの名前なのだろう、それに視線は移される。そう言えば、最初に会ったときもロックオン、と騒いでいたのだった。視線というもの があるのかは判らないが、ハロは俺が見れば犬が尾を振るみたいにぱたぱ たとまた動く。何だか、妙に可愛げのある仕草だった。
「アイボウ、アイボウ」
「……よろしく、相棒」
 微笑めば、承知したとばかりに手の中から抜け出すと、周りを跳ねて回る。随分、気に入られちまったみたいだ。もしかしなくても、兄さんが随分と可愛がっ ていたらしいことは容易に想像できる。苦笑すれば、隣に突っ立っていた男がぐい、 と腕を引っ張った。
「……、おい、」
「行くぞ」
 あんまり表情がないもんだから怒ってんのか?と勘ぐってみるが、声は平坦だからやっぱり気のせいなのかもしれない。横顔は冷たい、というよりは涼しいと 言ったらいいのか、まぁ、色男の部類に入ると思うんだがもうちょっと愛想がないと女が寄ってこないぞ、とか余計なことを考えながら大人しく引っ張り回され る。
 戦闘の後だからか、艦内はかなり慌ただしく人が行き来している。と言っても、淋しい組織だと思った通りに揃いの制服を着たクルーの数は少ないのだけど。
 ロックオン、よろしく。ロックオン、少しは慣れた?
 何度も繰り返されてだんだん馴染んでくるような感じがする。その度に、刹那、と呼ばれるこの男はこちらを見、言葉少なに声を掛けてくる。低く静かなそれ は不思議と耳に心地好い。

 本当に振り回される感じで案内を受けて、最後に個室に押し込められた。
 言い方が悪いかもしれないが、まぁ事実、何も知らない俺はただのお荷物に違いな い。ハロは整備だかで駆り出されて傍にいない、つまり、俺はロボットよりも価値がないってことだ。かと言って殺風景な部屋でぼんやりと天井を見上げるのな んて趣味ではな く、早々に飽きてしまって邪魔になるのは承知で部屋を出た。端っこ歩きゃいいんだろ?別に、拗ねてるわけじゃねーぞ。
 きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていれば、あ、と甲高い声。近づいてくる女の子は、この艦でもかなり若いように見える。低重力に、ふわりと浮くス カート が愛らしい。
「こんにちは」
「どうも」
 にこりと、微笑まればこっちも悪い気はしない。機嫌よく首を傾げれば、女の子は手を差し出した。よろしく、と互いに小さく言って指を握った。
「さっきは挨拶もできなくってごめんなさいです。私、ミレイナって言います。ミレイナ・ヴァスティ」
「……ロックオン・ストラトスだ。ヴァスティってもしかして、」
「あ。父と話しました? 頑固でしょう」
「いやいや、気の良いおやっさんじゃないか」
 ミレイナと名乗った少女は、「えへ、そうですか?」と舌を出してはにかんだ。父親のことが好きなんだ、とその仕草だけで判って、モビルスーツを弄ってい たその背中を思い出す。背中越しでの刹那とのやり取りの後、一瞬だけ振り返った顔は、確かにこんな笑顔だった。
「父はかなり前からソレスタルビーイングに居たんですけど、私はちょっと前に入ったばかりの新人なんです。一緒に頑張りましょうね! ストラトスさん!」
 小さな手がまた差し出されるのでまた握る。丸っきり子供みたいだ。
「へぇ。じゃあ、アイツは?」
「あいつ?」
「……刹那・F・セイエイ」
「セイエイさんですか? あ、セイエイさんも最近入って来たんですよ。戻ってきた、っていう方が正しいんですかね?」
 首を傾げれば、ミレイナはくるりと大きな目を天井に向けた。考えるように一度目を閉じて、次に開いたときにはこっちを見ている。慌ただしい動きにこっち の目が回りそうだ。
「セイエイさんと一緒じゃなかったんですか?」
「案内はして貰ったけど。そういう話はしてないな」
「そうなんですか。……そう言えばアーデさんとは話しました?」
「いや?」
 首を振れば、ミレイナは困ったと言うように細い眉を顰める。
「今の組織はアーデさんが再建したんです。だから艦内の案内はアーデさんの方が適任なのですけど」
 唇を尖らせても、俺は肩を竦めるしかない。内部で揉め事でもあるのか、それとも俺は歓迎されていないのか知らないが、兎に角複雑そうなことは確かだ。こ んな小さな女の子が組織に属しているのも含めて。
「アーデさんもセイエイさんも、五年前の武力介入以前から参加してたらしいんですけど。セイエイさんは、戦いの後ずっと行方不明だったんです。それで、行 方が判って、組織に復帰したのはほんの最近なんですよ」
「じゃあ、本当は案内には適してないんだな」
「そうなんです。しかもセイエイさん、あんまり喋らないでしょう? ですよね? あ、でもアーデさんよりは優しいかもです」
 しばらくそのアーデさんとやらへの言い方がきついだの細かいだのというそんな他愛もない文句を聞かされた後、俺は結局また自分の部屋 へと戻ってきた。年ごろの女の子ってのは知らない人間にも何でも話したがって、その勢いには圧倒されるしかない。もう若くないのかね、と感傷に浸って溜息 をついてみたりしつつ、ベッドに体を横たえた。それでも瞼を閉じないのは、柄もなく興奮してる所為かもしれない。自分の心臓の音が、とくり、と何度も跳ね て繰り返される。この中に、流れる血の中に、そうした興奮が隠されているのだろうか?

コン、と扉が音を立てた。足が当たったというようなものではなく、指の骨が鉄を叩く丁寧な音を立てたので、力の抜いた背中に緊張を走らせる。じ、と視線だ けで扉を睨むと、もう一度、コン、と扉が同じリズムで叩かれた。それで、誰かが判った。
「どうぞー?」
 そのまま声を上げれば、乾いた音を立てて扉が開く。そこに立ってたのは、刹那だ。想像した通りで、意味もなく笑みが漏れる。
「食事を持ってきたが……、寝てたのか」
「まぁちょっとな。わざわざありがとな」
 体を起こし、手を差し出せば、刹那はようやっとこっちへ来る。どうぞって言ったんだから、遠慮しなくても良いのにな。この辺は、ミレイナの遠慮のなさと 足して2で割ると丁度良くなるかもしれない。
「へぇ。結構、凝ってるんだな」
 トレイを覗き込めば、故郷の料理なんかも入っていて俺は微笑んだ。素直に嬉しい。歓迎
されてるって感じがする。笑いながらも、ポケットを探って煙草を取り出したのだが、無表情にこっちを見る刹那に気付いて舌打ちした。ああ、禁煙だったな、 と思いだして仕方なくフルイターを噛む。ライターの重さなんて、軽重力に慣れちまえば簡単に忘れる。しばらくツライな、と歯の隙間で転がすのだが、咎めて いると思っていた視線はまだ強いままで、首を傾げる。
「どうした? 吸いたい?」
「……いや、」
 視線が合えば、刹那は首を振りつつさりげなく目を逸らした。何だ?と疑問に思ったとたんにまた赤い(血の色の)目が俺を見る。相変わらず、射抜くみたい な強さのままだ。
「何か、困ったことはないか」
「――困ったこと、」
 そんなの山ほどある。とか言ったら、この無表情も少しは変わるんだろうか。冗談だよ、と言えば笑うのだろうか。
「――…いや、大丈夫だよ。……優しいな、アンタ」
 意地悪を言うのを止めて笑えば、予想外に、その顔は幽かに驚愕を表した。唇が小さく開いて白い歯が光って閃いて――ゆっくりと、背中がこちらを向いた。

 そのまま去っていく背中に、俺は何も言えない。優しいと言われて、泣きそうに顔を歪める男に、何も知らない俺が言えることは、真実存在しない。
 ただここが宇宙でなくて地球なら、せめて花でも贈れただろうと、少し残念と言うだけで。












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