色とりどりの原色の光を浴びて、白い肌は手入れの往かない庭のように様々な色で飾られている。やわらかい榛の睫毛は震えること なく穏やかにその緑を隠している。勿体ないことをする。グラハムはその秀麗な柳眉を顰めた。美しいものはそれを表に顕さないといけない。世界に示さなくて は。そんな身勝手な思いが(彼にはよくあることだったが)ふつりと湧いて、(元来の目的も忘れて)彼は堂々と聖堂でサボりをする年下の同僚の鼻を摘んで やった。途端にくぐもった息が唇から漏れ、おだやかな均衡は崩れ、待望した輝きが瞼を押し上げて顕れてうっそりとグラハムは双眸を細めた。
「…グラハム。何の用だ」
「ご挨拶だな。折角起こしてやったというのに」
嘆きに表情を歪め、オーバーに肩を竦めて見せれば、寝起きの良くない彼は起こされたことによる不快に顰めていた眉間を、ふ、と落ちる溜息一つと共に緩めて ゆっくりとロックオンが上体を起こした。長い前髪を鬱陶しそうにかき上げる仕種に毎度グラハムは前髪を切ればいいのに、と思うのだが、なかったらなかった で何故前髪を伸ばさないんだい、と彼は訊ねるだろう。つまりは身勝手なのだった、この上なく。そしてそんな勝手な(稚拙ですらある)男に、いつも好き勝手 に周りを振り回し、気まぐれに一人になりたがるそんな男に近付いていく物好きなどいなく(一時の珍しさから手を伸ばす者は跳ね除けられた)、その華やかな 容姿と反して彼は孤独であった。
「それより、サボりとは感心しないな。単位は大丈夫なのかい?」
「ラテン語なんて受ける気しねぇよ。使ってない言語を習って何になる?」
「君がそれを言うのか」
グラハムは心の中で賛美していた緑よりどこか――例えば星の輝きのような不思議に輝く眸を丸くしてロックオンの言葉に驚いた。彼の出身を知っていたから だ。
それに気付いているのだろうに、ロックオンはというと驚いたグラハムの理由が思い当たらないというような顔をして、一瞬首を捻り、次に退屈そうにふぁ、と 欠伸を吐いて腕を伸ばした。木の椅子で眠れば体中が痛いだろう、自業自得だとグラハムは心の中で罵ってみた。欠伸のベクトルが彼に向いているような気がし たからだ。
「そう言えば、アンタは?去年取ったのか」
「私は来年取るよ。あのご老体の講義は聞くに堪えない」
「そうかい」
興味の薄い言葉を返したロックオンの目は、未だに眠気と戦っているようでぼんやりとあどけなかった。長い睫がかかる様子は、ステンドグラスの光も相俟って さながら新緑に沈む教会の様子を思い起こさせた。美しい枝ぶりが彼の心の中にあたたかな影を落とした。森の中に教会を作った、あの建築家の名前は何だった か。
「君、建築には詳しいか?」
「は?いや、別に」
「そうか…残念だな」
グラハムは本当に残念だと言うように悲しげに目を伏せる。もし、知っていたのだったらあの美しさと(と言っても彼はその写真を一度しか見たことがなかっ た)彼の眸の色を対比して自分の頭の中に浮んだイメージの素晴らしさを伝えて共有できたのに。
「建築がどうかしたのか?」
「ん?いや、なんでもないんだ」
「そうか…?」
うん、そうだ。とグラハムは一人肯いて納得していた。どうせ一過性の思い付きだ。しかし俯いた視線を戻せば懐疑的な色を含んだ視線が彼を迎えた。おや、と 肩眉を上げれば「なんだよ」と顔を顰められる。彼はその時、この青年の気遣い性を忘れていた。
「アンタ抜けてるだろう。何かまた提出し忘れの課題でもあるのかと思っただけだ」
「ん?課題…ああ、この前の!」
「何かメシでも奢るって言ってたよな」
にこり、とロックオンが笑って見せれば「作った笑顔は嫌いだ」とグラハムは頬を膨らませる。女性に受けはいいかもしれないが。
「もっと自然に笑ってくれないか」
「馬鹿言え。男相手に気色悪い」
「私は馬鹿じゃないぞ。この前の幾何学で評価は秀を貰った」
「知ってる。でも頭のネジが一本抜けてんのも知ってる」
ロックオンは溜息混じりにそう吐き出すと、再び体を伸ばしながら(やわらかい動きだった)硬い椅子から立ち上がる。何となく人目を引く所作が、この男には あった。幼少の頃からそう躾けられているグラハムとは別の、もっと本質的な何かが彼のすべてを優美に見せている、そう思われた。だからその何かが、知りた いのかもしれない。もしかしたら知りたくないのかもしれないが、関係ない。心の矛盾をグラハムは厭うていなかった。判らないものがあったほうが、きっと世 界は素敵だ。
「ひどいな君は。仮にも食事をせびろうとしている身であるというのに」
「え、奢ってくれんのか?」
見返りは求めていなかったらしく(期待していなかったのだろう)ロックオンは驚いてグラハムを省みた。そう言えば、世話焼きで女性に弱い彼が、何故このよ うに年上の男に構うのかもグラハムには謎だった。尤も、それは彼だけが解けない謎であったが。
「同僚とは言え、私の方が年上だからね。…とは言いたいところだが、残念ながら財布を忘れた。諦めたまえ」
「はぁ?じゃあ、アンタ飯はどうするんだよ」
「うむ。考えていなかったな」
あっけらかんと笑う彼に、ロックオンは本日何度目かの溜息を吐く。恐らく、この青年が溜息を吐く様子を一番見ているのはグラハムだろう。そして原因も考え ずに溜息を吐くと不幸が何とやらと説教をいするのも彼であった。
「はぁ…。じゃあとりあえず食堂行こうぜ」
「私は金がないと言ったはずだが」
「知ってるよ。奢ってやるって言ってんの!」
どこか偉そうにのたまうグラハムに馬鹿だなぁホント、とまた暴言を吐いてロックオンは扉の方へ歩き出した。その、字面だけを追えば乱暴としか思えない言葉 の響きが随分優しかったので、グラハムは怒る気も起きず、光を跳ね返すそのいくつもの曲線が重なって出来上がる背中を後ろから眺めるしかなかった。そう言 えば、ここにきた理由があったのだった。去りゆく背中を見つめてその事を初めて思い出した彼は、あっと間抜けに声を上げた。
「思い出したぞ」
「は?…ああ、さっきの?」
律儀な緑の眸が振り返る。その唇、眠気に乾いたそれが誘うように動く。それを見て、ああ、勿体無いことをしたのは私の方だ、とグラハムは瞼を閉じ、そっと 首を振った。
「ん?まぁ、そんなところだ」
キスして起こそうとした、眠り姫さながらに――そんなことを言ってしまえば、この温厚で案外純真な青年が、怒って昼食の件を取り消しにしてしまうくらいグ ラハムにも判っていた。


















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