カティ・マネキンのその日の機嫌は最高潮に悪いものであった。朝からやってきた低気圧の所為かもしれないし、朝食前に掛かって きた母からの電話の所為かもしれないし、二日目であるのに徹夜を行ったからかもしれない。とにかくソレスタルビーイングが世界に出現してから彼女の日常は 非常に忙しく過ぎ去り(しかし彼女は仕事を嫌いではなかった)普段はそれに充足を感じるのだが、この日はその忙しさにも何か嫌気が差してしまって、彼女は 自分の小さな足のつま先を睨み付けながらささやかな噴水が空気を誤魔化す公園のベンチに一人で腰掛けていた。何十分後かには会議に出席しなくてはいけない から軍服を着用したままである。そんな女がベンチで一人腰掛けて俯いているんだからさぞかし滑稽な光景だろうな、と彼女は自らの姿を嘲笑した。自分が女で あることが決してマイナスにはなっていないと思うが、こういった時に発揮される、男にはない神経の過剰な反応は憂鬱である。睨み付けた視線の先で鳩が妙な 動きでうろうろと徘徊して餌を催促しているようだった。氷のよう、と評される彼女の眼力には鳥類には利かないようである。自分の無力を晒したようで彼女は その視線の力をそっと弱めて瞼を閉じる。鳩の餌など持っていない。豆鉄砲ではなく本当の拳銃なら持っているが。
「ねぇー次どこ行くのぉー?」
鳩なんかより何十倍も鬱陶しい声が聞こえた。甘ったるい無力でだらしなく庇護欲を脳の中枢から引っ張り出すような、女というカテゴリを最大限に使うそんな 声の匂いが彼女は大嫌いだった。彼女の母親がよくそれを強要するから尚更だ。朝からの母親の声を思い出して彼女は秀麗なその眉を顰める。苛つきを混ぜた (八つ当たりもあった)視線を上げれば、陽に透けるような蜂蜜色を振りかざして女が若い男にしな垂れかかる背中を見つけた。はしたない、と彼女はまた顔を 顰め、そしてその台詞の根源を思い起こして溜息を吐く。ざぁ、と背後で噴水が飛沫を上げた。その音に、誘われるように男が振り向いた。あ、とその口がぱか りと開いた。
「大佐!」
「…うるさいぞ、少尉」
彼女の部下に当たる、パトリック・コーラサワー少尉であった。べたりと腕に女をくっつけたままなことに気付いた彼は「悪 い」と言いながらそれを振り払ってカティの座るベンチまで走ってくる。女がその後ろで不満そうに頬を膨らませた。馬鹿かこの女、とカティはそれに目を細め る。男の上司に媚を売るのは基本だろうが。
「ご機嫌如何でしょうか!奇遇ですね、こんな休日にまで出会えるなんて!」
びし、と敬礼をしつつ尻尾を振るこちらはこちらで媚の売り方が過剰である。
「私は仕事だ」
「そうなんですか!勤務ご苦労様です!」
本当にご苦労だと思っているのだろうか、パトリックはうきうきと眸を光らせて真っ直ぐに彼女を見つめる。犬だな、と心の中で蔑みながらも、カティは男の紅 潮した頬と、その鼻梁をじっと見つめる。香水の香りが鼻を突いた。そう言えば、最初にパトリックが遅刻してきたときも香水のにおいがしたのだった。
「少尉、これから何か予定は?」
「は?いえ、特には」
唐突の問いに、パトリックは小さく瞬きをした。正しく鳩のような顔だった。それが何となく愉快で少しだけ頬を緩めると、彼女はしばらく腰を貼り付けていた ベンチから立ち上がる。パトリックが慌てて姿勢を正している、それを直立で見つめれば、背中でざわめいていた噴水がゆっくりと光を喪って静かに水を滴らせ た。
「では車を呼べ。私はこれから会議に行く」
え、と架空の声が聞こえる。パトリックではない、そのもっと後ろにいる赤い口紅からだ。パトリックは威勢の良い返事を残して急いで車を呼びに奔走し始め る。くるくる動くそのぜんまいを巻いたのは彼女であった。暢気な部下への湾名な嫌がらせのつもりであったその行為はしかし、全く音のしない噴水を背後に 視界の端で突っ立っている女を見つけた彼女の心を、意図と外れてその女の足下に転がる買い物袋と同じようにくたりと草臥れさせるものとなっていた。




















inserted by FC2 system