仮面を、僕は飼っている。きっとそれを聞いたら或る人は首を傾げるかもしれないし、笑うかもしれないし、または、ただ同意を示して頷くだけかもしれない。 僕にとって他者の反応と言うものは毛ほどの意味もなさないのだけれど、それでも変わらないのは僕が表に見せている顔とはまるで別のものが心の内に巣食って いるという事実だけだ。正体は判らない。自分が自分であることを証明する事のできる人なんてこの世には皆無だと思うけれど、そういうものにこれはよく似て いる。
もう一つの人格、欲望の象徴、最も静かな一部、手に負えない獣。多分、言葉にすればこれらがきっと一番近しい。自分が判らない。自分が判らない事に興味が ない。そもそもそういった定義が必要なのだろうか?僕にはとても理解出来ない、必死で、生にしがみ付いて自分を確立しようとするその行為が。(あの子供は 怒るだろうか)それでも、或る程度外面というものは必要になってくるから、そう例えば他のだれかと交流するときに、話をするとき、セックスをするとき他者 と線を引くという意味でアイデンティティというものはとても重要だ。それが曖昧になれば相手は僕の一部になろうとしたり、はたまた僕を排除しようとしす る。世界は一つでないといけないから?自分のテリトリーを犯されるのが我慢できないから?僕には判らない。(愛ってなに?)
「リボンズ、これをお食べ」
きらきら光ったキャラメルソース。子ども扱い、甘い言葉と緩んだ唇、全部、興味などない。けれど、僕は仮面をもってそれを許容する。笑顔、そしておべっ か。みんな吐き気がするほど興味がない。ただ少し疲れるだけ。そして咽が渇く。唾が苦くなる。ああ、不快。
「ありがとうございます」
「あとこれはどうだい?ベルギーから直で取り付けたんだよ」
「とても美味しいです」
「そうかい。口の中が甘いだろう?紅茶をお飲み」
「ありがとうございます。頂きます」
真っ赤な液体の中に浮かび上がる笑顔はやはり仮面の一部。おべっかを喋る。他のものよりも少し、長く使われた。あの日、アレハンドロ・コーナーという男の 為に作った。磨いて、しっくりくるように整えた。そして今は昼夜のほとんどを一緒に息をしている。影のようにぴたりとくっついて僕の呼吸のタイミングを少 しだけずらす。その幽かの違和を、このひとは知らない。知らずに、僕の口を舐めようとする。糖分が欲しいのならいくらでも机の上に転がっているというの に、随分と面倒な事をする。人の唾液は甘いというけれど、僕のものも甘いのだろうか。僕には判らない。
「リボンズ、くちづけを、」
縋るような目が僕を見た。その眸にお望み通りのくちづけを落とす。甘いお菓子、これが欲しかったんでしょう?
彼は安心して、顔の中に浮かんだ焦燥をわずかに和らげる。僕は、それが少し面白くて、舌に唾液を含ませてバードキスをしたその空洞を埋める。無機質な僕の 一部が、泡を立てて彼の一部に吸い込まれていく。さあ、この人はどんな反応をするのだろう。怒るだろうか、それとも。いつの間にか少しだけ心が愉しくなっ てくるのを僕は感じる。
「アレハンドロさま」
「…お前は、」
何かを言いかける。その先の言葉は聴きたくない。生まれた瞬間からこの世界のことなんて全部判ってるけど、知りたくないんだ。この男は、そのことなど知ら ないだろうけど。
「僕は…、ぼくを、」
男の口が酸素を取り込む。縦に線の入った唇。欲を潤すために乾いたそれ。
「いけない子だ、本当に」
怒ったように眉を顰めるその表情。隠し切れない欲の泥が、粗雑な綻びから染みてくるのが見える。僕凡てに入り込んで手に入れようとする。復讐とか念願と か、そういったものに囚われた欲が、全てを飲み込みたがるんだろう、その正体も知らず。
愚かで、愛しい僕のおもちゃ。もうすぐ終わりがくるよ、貴方の隣で。…仮面の軋む音がするんだ。
















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